8∞

2020.11.24

Production Note  001  「8∞のはじまり」 by  志人/sibitt

 

本日より8∞ Production Noteが始まりました。

8∞ Production Noteでは、

Team 8∞のスタッフが、本企画をどのように進行しているのか等、

最新状況を含め、皆様へご報告させて頂きます。

第一回目は、 本企画の草案者でもある志人/sibittによる投稿。

未だ謎多き"8∞のはじまり"について記してもらいました。    

お時間ございます時に是非ご一読頂けましたら幸いです。 

----  Team8∞ より

-出鼻-

 

口にさえ出さないものの、心の窓からひょんな拍子で流れ出た言葉から文章という建物を建てる行為とは、山の天気の様に皆目見当がつかず、晴れ間と雨雲の境目に立ち、そのどちらともを待つような心持ちです。

ですので本文は貴方様へお目に掛けるには恥ずかしいような、眼前に舞い踊り出てはすぐさま再び草陰へと身を隠してしまう野うさぎか、注視せねば見過ごしてしまう樹上のサルナシのような引っ込み思案の今ひとたびの現像でありますが、この冬の裸心奔放な自然樹形の如く寝癖がついたまま毛羽立った我が頭髪のように荒んだ筆先が、揺さぶり落とした言葉の落葉を掻き集めて排他と言う名の熊手と坦懐と言う名の箕で捲られた蚤虱のような吹けば飛んでしまう文章というひしゃげた建造物を踏み倒しては上手いこと建て直して、呑めぬものさへ噛み砕いて咀嚼してみるような優しき貴方の粘土質な心に頼る我が砂鉄の心をば、貴方の深き思慮の海に文を浸してお読み頂けましたら幸いに存じます。

私は深読みの性分と申しましょうか、何か自分の目の前に起きた事象だとか、立ちふさがった壁のようなものに、どうしても妙な縁を感じてならない所が昔からありまして、この妙な縁とは如何なるものかと解明するのに一日、いや、一年を費やす事もざらで、多くは時を掛けてだんだんと自分の心の中で解きほぐされて行き、腑に落ちるというところまで行くような気がします。

しかしながら、物事は必ず起こりうるべくして起こるとの思い込みも激しく、通常人間が気にも留めずに歩き過ぎ去るような事象に食らいついて離さずにいるというある種の病的な思考の執着に悩まされることもしばしばあり、これをもし精神科医が特定の病名を与えるのだとしたら何という病に命名なさるのか知りたいような気が致しますが、それを知る由もありません。ですので仕方なしに自らが自らの精神分析官となって、或いは医師と成り代わって、事の次第をもうひとりの自分が看取るという形で、この一つ一つの妙な縁の所在を明らかにしてみるのです。何時ぞやより瓦版の木板に刺さった画鋲か先折れた一寸釘のように誰かに引っこ抜かれるまで微動だにしない凝り固まった思考の執着をやがてと今の來る終着駅へと自らを赴かせ、一箇所に留まるのではなく、その実を途方へ旅をさせてみることによって、自らをもって大病を完治したかのような気にさせるのであります。一方その画鋲抜きか釘抜きの支点力点作用点は何方かによって突き動かされ、はじめて身動きがついた事もあったでしょうに、非常に夢見がちで自己完結的な性分に自身も呆れてしまう程に私は極端な人間なのであります。動かざるを得ない状況になってはじめて動くのではなく、常に突き進んでしまうというある種多動症的な筆は衝動を止められないのであります。 これを人は行動力と呼ぶのかも知れませんが、そんな高尚な響とは違う野生的な力が生じているような気がしてなりません。 それが”縁”というものなのでしょうか? 私はこの8∞に妙な縁を感じてなりません。

これも私と貴方が、そして世界と私が随分と疎遠になったが故なのでしょうか?

それともこれは再会の時を拱いているのでしょうか?

 

-8∞のはじまり-

 

きっかけは二千二十年卯の花の月の某日、

いつものように私は山間に居て、檜の木登りをしておりました。

すると、どこからともなく此の星の回転速度をやや緩めるかのような一陣の風が東の四ツ山の稜線を越えてやって参りました。

朋友(なのるなもない)から一本の電報が懐元へ届いたのであります。

久方ぶりに聴く懐かしい声と林内に拡声されて響き渡る私の声が交差して、

時空を越えた対話を交換手なしに即座に繋げる文明の利器と未接触部族たる山師のヨキ(四気)が邂逅した瞬間を感じ、なんとも言い知れぬ感情になったのを憶えております。

 

対話の内容は、昨今の世の有様についての雑談もそこそこに、

友が私に伝えたかったことは、

 

「互いいつまでも元気で居たいが、いつどうなるやもわからん。 そこで、どうだい? 蓮ハスを植えてみないかい?」

 

という青天の霹靂でいて、まことに彼らしい愛に溢れた言伝でありました。

 

「ぜひとも」 

 

と彼に伝え、蓮、蓮、蓮、と唱えながら樹に登り、樹に抱き抱えられながら木登りの続きに戻ったのであります。

 

その晩あたりに、私は「遡上“SOJYOU”」という詩-UTA-を認めたのでありました。

 

私からは友へ物品を贈ることは出来ないが、詩-UTA-であれば贈りたい。そう想っての詩作でもありました。

 

数日後、種蓮が友から届きました。

早速、高齢山師御年七十六歳と共に山中の泥中へ種蓮を植えました。

種蓮の植え方は、尾道で出会った僧の様な佇まいをし、心静かで豊かな御方からご贈呈頂いた

『植物記』 牧野富太郎著を参考に致しました。 

互い、どんな祈りを込めたのか分かりませんが、自然と手を合わせ、その場を後にしました。

 

私は永年、音や詩によって旅を続け、世間様が追いかけてきては隠れ、追っ手から逃れた矢先に、

現実と正面衝突して、その身をもって詩-UTA-を投げかけ、

かの野うさぎかサルナシのように注視せねば見逃してしまいがちなUNSEENの世界へ潜り込む旅へと放浪を繰り返して参りました。

隠れる/逃げるという表現が正しいかどうかは分かりませんが、

自分自身を見つめ研鑽してゆくには、時に人間という身分をも忘れる旅が必要だったのだと思います。

 

その旅の道中、幾度となく、道に迷う度に彼のことを想い出し、

また彼は私ことを思い出してくれていたのかも知れませんし、

忘れていた時も沢山あったのだと思います。

 

しかしながら世間の潮流とはまた別の流れをもって我々はここ数年、

-UTA-のやりとりをするようになっておった訳でありますが、

表立って作品として世に残すまでには至っておりませんでした。

しかしながらにして、私や友はいくつもの文通ならぬ詩通を残しているのであります。

 

「忘れ物したわ」

 

「何を忘れた?」

 

「足跡を」

 

その足跡を拾いにゆく旅もまたもう一つの旅の始まりでもあるのだと思います。

先へ先へと進んでゆくものが進歩と呼ぶのかも知れませんが、私は足跡を拾いに赴く、

それが「遡上」でもあります。

 

敬愛する友、なのるなもないから受け取った種蓮のささやかなお礼をばと、

私は『遡上-Love letter to nanorunamonai-』と題して友へ贈った事が、この8∞のきっかけであります。

 

数日後、友から素晴らしい詩-UTA-が贈られてきました。

相も変わらず彼らしく、美しく、夢の中の絵本に迷い込んだかのような詩-UTA-と胎内に回帰するような優しい声に文字通り時を忘れて浸りました。

 

今や未接触部族のように自らを蚊帳の外に押しやった私にとって、

詩というものは、その人を超えたその人の心を、そして世の中の全てを知る事が出来る唯一の魂の交信でもあります。

極端に言えば、「今の世、来る世、前の世を知るには詩人の詩-UTA-を詠めば分かる」のです。

 

私は前述したように、かなり極端な人間である、と、そう もうひとりの寛容な自分が認めてしまっているように、断定的な部分があります。断定的でなければ道が定まってゆかないゆらぎが決定的な自分をつくっているといいましょうか。

ですので、失礼を承知で今一度、声高に言わせてもらいましょう。 

「今の世、来る世、前の世を知るには詩人の詩-UTA-を詠めば分かる」 と。

 

私は、なのるなもないからの返歌でありながら無限に繋がってゆく詩-UTA-を受け取り、

今作の音を手がけてくださっている蒼天青海原の心を持つ友(dj ao)と語らいの時を持ちました。

 

そこで、なのるなもないやdj ao君と語らった中で出てきました私なりに導き出したこの物語の道は、

「この無限の広がりを持つ魂の物語をたった一つの言語で終わらせるのは惜しく、

 今の世を生きる世界中の表現者と魂で繋がる物語を編むことは出来ないか?」という道でありました。

 

当然のことながら、私達日本人は四方海に囲まれた日本島という島国、あるいは海底から現れた日本山という山脈一角の言語を心の友とし、また旅先で出会い別れた渡り鳥の如き渡来言語をも友として今を生き、文字という原始的な彫刻を木霊に刻み表に現しています。しかし、同時に地球人でもある私達は、言語の意味を超越したところで出逢います。

様々な国の音楽が我々の心を楽しませてくれているように、言葉に意味ばかりを求めずに、詠み手や歌い手の心を感じているようなところがあるのではないでしょうか?

 

では、どのようにして、意味をも超越した詩-UTA-は生まれ来るのか?その途方もない?(はてな)の根本をハチスの様にに探す旅がはじまりました。言葉の概念や意味すらも超える詩-UTA-の星々を互い惹かれ合う妙な縁で紡いでみたら一体どんな詩-UTA-になるのだろう? どんな物語が生まれるのだろう?妙な縁を感じずにはいられなかった別の島の、あるいは別の山脈の、果ては雲の上の詩人達の詩-UTA-を詠めば、今の世、そして来る世、前の世の事が分かるかも知れない。別の島や別の山脈と思っていたが、実はどこかで繋がっていたという”妙な縁”があったりするのではなかろうか?

れがすべてなのかも知れない。 そうであって欲しいような。 いや、そうなのでありましょう。

詩こそがすべてを物語る。

 

そう想い、8∞は生まれました、

いや、今まさに生まれようとしているのであります。

ですので、その今まさに生まれ来ようとしている8∞を皆さんと一緒に心踊らせながら見守りたいと願っております。

必ずや貴方の元へ戻ってきますように と

こちらは疑問符の杖をつきながら物語の中で待っています。

行く道道中で何のご縁か巡り合った友や貴方にその?の杖を託し、

またそれがどこかの誰かに渡って、やがて貴方に戻って来ますように

 

?の杖は今、途方もない空を彷徨っています。

そしてそれを渡し渡された出逢いは、初めましてにしてもどこか既視感に溢れ、

とんでもなく懐かしい再会のような気がしています。

 

なぜなのでしょう? ? ?

 

この?はてなを胸に私と一緒に旅に出てみませんか?

 

貴方の?と私の?が重なって ∞ になり、 八十八夜 米 88  蓮 ∞∞∞ ????????

 

私はまず「遡上」という物語を貴方に託します。

 

では、また8∞でお逢いしましょう。 

 

次項は”8∞で出会うべくして出会した世界の素晴らしき表現者たちについて”お話させて頂こうと思います。

    

続     

Production Note  001  8∞のはじまり」 by  志人/sibitt


  

 

第一奏者 志人/sibitt の「遡上」が本8∞オフィシャルサイトにて12月中に公開予定です。   — Team 8∞